コンゴ・ブラザビル憩の家診療所

 昭和41年11月1日、医療隊の第一陣(山本利雄胸部外科部長、船曳豊放射線科技師、山中亨衛生検査技師、塚原佐代子看護婦の4名)がアフリカ・コンゴのブラザビルに派遣された。これは天理教海外伝道の一環として、この4月に誕生した天理教コンゴブラザビル教会の一角に診療所(後にコンゴ・ブラザビル憩の家診療所と命名)を設け、天理教海外伝道の一環としてコンゴの人々の健康保持、疾患の治療に当たるため企画実施されたもので、出発に先きだって医療機器や薬品を送り、着任と同時に診療が開始されました。それは周辺に大きな反響を呼んで、またたく間に患者が場外まで溢れる盛況を呈しました。

 当時のコンゴは社会主義体制の中にあって、特に宗教団体の活動には厳しい施政を示してきた国でしたが、本教や診療所に対しては好意的で、前後11年余に亘って13次隊、61名の医療隊員を送り込み、切れ目のない診療が続けられました。時には内戦の渦中に引きこまれて、教会の建物を挟んでの銃撃戦で砲弾を打ちこまれるなどの危険な時期もありました。52年3月に至って、診療所は閉鎖されましたが、医療隊員引き上げ後の翌年6月、コンゴ共和国の首都ブラザビル市マケレケレ地区にあるコンゴブラザビル教会と道一つ向かい合って建築中であった診療所が完成し、コンゴ政府への贈呈されました。

 同診療所の入口には「DISPENSAIRE DE TENRIKYO IKOI NO IE」と書かれてあり、診療所にふさわしい瀟洒な清潔感のあふれる建物で、医療機器、備品など80点とともに贈られました。

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