อาหารเป็ นของประทานจากพระผู้เป็ นเจ้า

食べ物のめぐみ 天理教の教祖「おやさま」は、「菜の葉一枚でも、粗末にせぬように」と教えられました。これは,単に節約が美徳であるという意味ではなく、親神様のご守護により与えられるものを決して無駄にせず、ありがたく頂戴する、という意味が含まれています。 またおやさまは、魚を食べる時には、「おいしい、おいしいと言うてやっておくれ」とも言われました。 一つひとつの尊い命を私たち人間に捧げてくれている、魚や動物たち。それをまずいなどと文句を並べるのは、せっかくの命を軽視するだけでなく、親神様のお心を無視することにもなります。 天理教では、形のうえでの戒律はありません。何かを守るという姿勢よりも、積極的に喜び勇んで生きることのほうが大切です。食べ物についても、タブーのようなものはありません。すべては親神様のお与えですから、「ありがたい」と感謝して頂くことがよいとされています。 食べ物の恵みを通じて、親神様のご守護を日々味わわせてもらう。これが、天理教を信仰する者の大きな喜びの一つです。 อาหารเป็ นของประทานจากพระผู้เป็ นเจ้า อาหารเป็ นของประทานจากพระผู้เป็ นเจ้า (A4)

難儀はたすけあいの契機

天理教では、「見るもいんねん、聞くもいんねん」と教えられます。 それは、周りに見せられる出来事を、他人事とみなすのではなく、自分にも大なり小なり関係があるとする受け止め方です。ある人の身に起こった事柄を、その人だけの問題とせず、周囲の人々にも、それぞれ差はあれど関わりがあると捉えるのです。 そうすると、親神様がそのような難儀を見せられるのは、人間同士のたすけ合いを促すためではないか、との考えにたどり着きます。 難儀はたすけあいの契機 難儀はたすけあいの契機 (A4)

人間のからだは神のかしもの、心ひとつが我のもの

人は誰しも幸せを望み求める、しかし、どうすればその幸せを手に入れることができるのだろうか。 「人間のからだは神のかしもの、心ひとつが我のもの」とお教えいただく。 まずは親神様の護りによって日々生かされているという事実を知り、「かしもの・かりもの」の教えを日々忘れず、その護りに感謝の心で日々を歩むという事である。 人間のからだは神のかしもの、心ひとつが我のもの