天理教インドネシア出張所長 上須元喜
2018年9月28日、午後六時二分、インドネシア・スラウェシ島にてM7.5の地震が発生。人口33万人の州都パル市はこの地震によって建物倒壊などの被害を受けました。さらに、その30分後、最大3メートルもの津波が押し寄せ海岸沿いはほぼ全て破壊されました。また、地震・津波の被害を受けただけでなく『液状化現象』でも大打撃を受けました。世界的にも非常に稀な災害で、現代の科学力でもその災害構造は解明することができないそうです。
この震災被災者に対し、当初は、たすけあいネットから拠出された義援金を天理インドネシア福祉財団を通して現地新聞社か赤十字へ委託する予定でした。しかし、委託するにしても、出張所長として被災地を訪問したことがないのはよくないのではないかと思い、単独でパル市を視察することにしました。一日という限られた時間でしたがパル市の被害規模の確認、また数名の現地の方とも知り合うことができました。しかし、震災から時間が経ち過ぎていたことやその他の事情により義援金の委託がすべての機関で終結してしまっていることが分かり、直接被災地で支援先を見つけ出さなければならなくなったのです。インターネットで支援先を調べましたが、信頼できる機関を探すのは難しく、最終的に視察時に知り合った方に連絡を取ることにしました。その方は、パル市で私が初めて話した方で、連絡を取ると私たちの思いを理解し協力してくれることになりました。さらに『バラロア地区住宅液状化被災者団体』を紹介して下さり、様々な根回しをしてくれることになったのです。後でわかったのですが、その方は現地の名士でかなりの人脈をもっていた方でした。刑務所から数百人が脱獄した事件による治安悪化や様々な風評が飛び交うパルの街で、そのような方とつながれたのは一番の御守護だったのかもしれません。団体と連絡を取り合い、偽りのない互いにたすけ合う団体であることが分かりましたので、天理インドネシア福祉財団は、たすけあいネットの義援金をもとに液状化被害を受けたバラロア地区を支援すべく準備を進めました。
液状化現象による被害と聞くと、地震が起きた際にアスファルトの中の水が亀裂から吹き出すという東日本大震災時の現象を思い出されるかもしれません。しかし、バラロア地区の液状化被害はそれとは次元が全く異なるものでした。この地区は、海岸から5キロほどの場所で津波の被害は全く受けていません。しかし、地震が起きた数秒後に地中の水が上昇し地表が泥と化し、地面がミキサーのようにかき回され、たくさんの家や人を全て飲み込みました。そして、その「陸の津波」は300メートルほどずれて移動し5メートル程盛り上がってやがて固まったそうです。その液状化は数カ所の地域で発生し、バラロア地区ではそれによって約500人が犠牲となり、地域全体の8割を超える建物が全壊しました。
支援先となったバラロア地区を実際に訪れてみてただただ言葉を失いました。その理解不能な自然の脅威に恐怖を感じました。政府もこのような場所には全く手をつけられず、支援を後回しにしている状態でした。政府や外部からの支援を待つだけでは何も始まらないという思いから、被災住民が自分たちの未来や権利を守るために立ち上げたのがこの団体でした。そこでは被災者が点在した避難テントでの仮住まいを余儀なくされていました。
2月13日から14日にかけて、被災者団体の代表者と面談し、支援物資の内容とその準備方法の相談を進めるべく再度現地に赴きました。同団体の代表はまず謝辞を述べられ「パルは中央政府からの支援がすでに終了しており、忘れ去れてしまった。被災者は毎日の生活こそが大変なので、支援は全世帯に配れるもの。それはどんな小さなものでも構わない」という要望を話されました。この代表本人も住居は液状化現象によって流され、孫や親戚など20名ほども亡くされていました。しかし、そのような状況下であるにもかかわらず同団体のために尽力されていました。相談を進める中で具体的な支援物資は、バケツ、水桶、米、油、コーヒー、紅茶、砂糖となり、1,240の全世帯に支給することになりました。食料などは市場などで仕入れることができましたが、1,000以上のバケツについてはパル市に在庫がなく、ジャワ島から2週間かけて運び込まれることになりました。(これらは、セレモニーの前日に到着しました。)また、丸一日かけて被害者団体の人たちが協力してバケツに食料を入れる作業にあたって下さいました。
3月2日から3日にかけて、天理インドネシア福祉財団トフィック理事長及びその家族、そしてインドネシア出張所長夫妻として私と妻の計5名は、現地視察及びセレモニーに出席するため州都パル市に入りました。2日、午後二時、大勢の人で埋め尽くされた被災者団体事務局テントへ到着。私たちを大いに歓迎してくれました。セレモニーで被災者団体代表は、天理財団の支援に対して感謝の意を述べられました。一方、天理財団理事長は、被災され家族を失った方々へ哀悼の意を表すとともに「大切なのは人のつながり、人類は兄弟としてたすけあっていくことが大切である」と述べました。ほんの小さな人と人とのつながりからこのような直接支援へと至ることができたことに大きな御守護を感じた瞬間でした。その後、名前を呼ばれた被災者は順に前に出て物資を手にしていました。ごった返す事務局内ではありましたが、陽気な雰囲気の中、配給作業は進められていきました。
この度の支援は、諸事情により地震発生直後の緊急支援という形をとることはできませんでした。もちろん、迅速な支援は大事です。しかし、数ヶ月と時間が経ったあとでも出来る支援もあるのだと勉強させていただきました。また、ジャカルタから2,000キロ離れた地域であるにもかかわらず、現地との連絡は円滑に進み、支援物資も全て整いました。たすけあいネット義援金を形にして直接届けられたことが嬉しく、親神様の御守護を感じずにはいられませんでした。世帯ごとに支給された物資は微々たるものでしたが、被災者の方々の笑顔が一番の喜びとなりました。